あおいうには茨城県出身の美術家で、現在は主に東京を拠点に活動している。
あおいが生まれ育った茨城県日立市では、太平洋が見晴らせて、小さな山々も連なっている。その原風景があおいに自然を彷彿とさせる青や緑の絵を描かせている。
使用画材はパステル、デジタル、色鉛筆、木炭など多岐に渡るが、メインで使用しているのは油絵具やアクリル絵具である。
絵具の自然的、有機的な表情や湿度、粘度、質感、そして発色に一種のフェティシズムを感じており、それらをダイレクトに感じるために手や指、足、胸等の肉体を直接、絵具に付着させて絵を描くことも多い。
このように出来上がったダイナミックな筆さばきや激しく塗り重なったムラのある色づかい、豪快な構図、内的な不安定さを彷彿とさせる、ペインタリーなペインティングたちは、表現主義(あるいは抽象表現主義、新表現主義、日本の表現主義)的だと指摘される。
生まれつき幻触を感じやすいあおいにとって、接触するとはどういうことか、触れたその感触が真実なのかが判断しにくい。
あおいが絵を描くということは、触覚を確かめるための儀式的行為に値するのだ。
今、見ているものが本当なのかどうか。鑑賞者にもその再検討を促すため、表現主義的な画風で描いている。
儀式という宗教的な言葉をあえて使う背景には、あおいが生まれ育った家庭環境にある。
あおいが幼い頃から母親は旧統一教会の熱心な信者で、あおいも2世信者として育てられた。
旧統一教会の教えを生きがいと刷り込みを受けて育ったが、思春期につれてそれは崩壊した。あおいにとっての本当にやりたいこと。初めて自分で手に入れた自主性。それがアート、絵画であった。彼女にとって、アートが神様であり、信仰であるのだ。
旧統一教会の2世は皆、恋愛が禁じられ性に潔癖に育てられる。その抑圧と反動により性や愛がテーマの絵を多く描くようになった。
性や愛をいくら描いても堕落することはないであろう。その確認行為である。
女性蔑視の激しかった旧統一教会出身のあおいにとって、自身の好きな絵を描くということは、真の女性性の復権と言えるのだ。
あおいにとって絵画とは自己表現を超越した祈りのような、救いの儀式だ。また、内的な葛藤と解放を記録するものでもある。
鑑賞者はあおいの作品をみて、「今、見えているものは真実か?」という感覚の再確認と、新たな光に当てられるであろう。